プロフィール
2015/10/13
初めまして、このサイトの管理人をしております、SEIGO(せいご)と申します。
まずは、簡単に自己紹介をさせて頂きます。
<プロフィール>
性別:男
年齢:29歳 ←2015年の時点
趣味:登山
性格:マイペース、物静か
自分を動物に例えると:もちろんネコ
好きな音楽のジャンル:J-POP、Classic、JAZZ
好きな映画:ジブリ
好きな食べ物:ビスコ、焼肉、焼飯、ポップコーン、動物ビスケット…
<略歴>
▻高校卒業後、北陸の大学に進学(化学系)
▻大学院にも行かせてもらい卒業
▻卒業後は関西の化学系の会社で研究者として4年間働く
▻会社を退職し、フリーの道へ…今に至る
このような僕ですが、「なぜ4年間続けた会社を辞めたのか」、「なぜフリーの道を選んだのか」についても簡単にお話ししたいと思います。
・自分はこの道ではないんだなと感じたから(そこにいることへの違和感)
・もっと別のことで自分は世の中に貢献すべきなのではないかと思った
・自分はこれをするために産まれてきたんだ!と心の底から思える天職のようなものを探していた
(そのときの仕事は違うと思った)
・では、何をして世の中に自分は貢献したいのかを自分に問いかけたときに、それが分からなかった。
・じゃあ、どうするか。。。世界に旅に出ようと思った
・世界を旅して周ることへのあこがれは大学生くらいのときから実はあった
・その夢をかなえることにもなるし、世界を旅していろいろな国の文化、歴史、食べ物、考え方などを知れば、何か自分の進むべき道が見えてくるかもしれない
・もし何も見つからなくて、これからの自分の進むべき道を考えるための材料は確実に増える
・もっと、広く、深い価値観を持ちたいとも思った
・いろいろな人の気持が分かる人になりたいと思った
・自分の道を決めるのに、それからでも遅くないと思った
・というより、むしろ、私はそれをするべきだと思った
・自分は本当に馬鹿だし、無知。正直に言えば政治のこともよく分からない世間知らずだ
・だからこそ、もっと日本のことや世界のことを知らなければいけないと思った
・世界に出ることはそれをやる良いきっかけになるとも思った
・これからの自分が行く道を考えるためにも、まず、自分が日本で、世界で、この歴史の中で、どんな立場にいるのか。自分はどんな存在なのかを知らないといけないと思った。
・だから、僕は、親の反対もあったし、自分でも一人で世界に出るのは怖くて考えると夜寝れなくなったりもするようなビビリだけど、旅したいと思った
っと、ここまではなんかかっこ良い話になってしまったが、僕にはもう一つ全く別の夢というか目標のようなものがあります。
それが、『ネコのように自由きままに生きる』というものです。誰にも邪魔されず、散歩したいときに散歩して、昼寝したいときに昼寝をする。そして、仕事をしたいときに仕事をする。
というような、マイペースな生き方がしたいとも思っているのです。
さっきまでの、ちょっとかっこよさげな目標と全く違って、なんだコレ、と思う方もいるかもしれないのですが、素直な僕の今の考え方でもあるのです。
なぜ、このような考え方に至ったのかといえば、元をたどれば大学院生活にさかのぼります。僕の大学院生活はどんな感じだったかと言えば、今お伝えした“ネコのようなライフスタイル”とはむしろ真逆の生活をしていました。
毎日毎日、実験、実験の日々でした。あの頃はこれまでの人生の中でも最もしんどかった3年間でした(大学4年から研究室に配属されてから大学院卒業まで)。
僕が所属した研究室の教授はとても厳しい方で、とにかく実験量と結果を求める人でした。「いつまでにそれはできるのか?」、「できなかったらどうするのか?」といったプレッシャーが3年間常にありました。
寝る間も惜しんで実験しました。朝から深夜まで行う実験は本当にしんどいのですが、実験が終わるのがだいたい深夜2時くらい。そこから今度はその日の実験をExcelなどで表にまとめる作業に入ります。
先生に提出するものなので、誤字脱字のチェックを行います(先生は、文章の書き方やレイアウトまで細かく指導する方だったので手は抜けません)。
外が少し明るくなってきて小鳥のさえずりが鳴くころにようやくアパートに帰るという感じ。家に帰り、シャワーをあびたら、もう布団に倒れるように寝るのです。
そして、3時間ほど寝たら、先生が来るまえにまた研究室に行き、その日やる実験の準備などを始めいつでも開始できる状態に準備します(前日にしなければいけない準備は前日にちゃんとやっておきます)。
その後、先生が学校に来るのですが、先生は他の研究室の先生と比べても早く来ます。それから、タイミングを見計らって先生の部屋をノックし、昨日の研究報告を行い、いろいろとダメだしてされてからまた長いようなあっという間のような一日が始まるのです。
こんな生活を毎日続けていると、「自分が生きているのか死んでいるのか」が本当に分からなくなってきます。
いつもとても頭がどこかボーとした感じで宙に浮いているような感じになるのです。ですが、体と頭はいつもピンとした緊張感があって、いつも自分のものではないかのように「とても速い鼓動を心臓が刻んでいました」。
自分は夢の中にいるのか、もしかしたら死んでいるのかも、などと思うことも良くありました。そのくらい、毎日フラフラになるまで研究をするという生活をしていたのです。
それで思ったことは、もし、これが社会にでてもこんな感じなんだったらやっていけない。いつか体が壊れる。そう思いました。
現にこの3年間で、僕はかなり顔が老けたような気がします。自分の頭の中の感覚としても、3年間いたとは到底思えないのです。
もうなんか、5年か6年くらいいたようなそんな怒涛の日々で、まるで竜宮城にいって帰ってきた浦島太郎のような気分を味わえたような、そんなきさえしました。
っと、ちょっと話が長くなってしまいましたが、こんな日々があったから、「人は何のために仕事をするのか」ということを疑問に思うようになりました。
自分の身をこれだけ削ってやることって、何があるのか、と。
僕は、もともと健康志向で規則正しい食生活などに興味がありました。でも、これは全く真逆の日々。カップラーメンを昼に食べたり、あるいは時間がなくて食べれなかったりなんてことも普通にありました。
これは、僕のポリシーに反するものだったのです。それに対する違和感がずっとありましたが、自分の成長のため、違う自分がそこから見えるかもしれないと3年間必至になって研究しました。
それから、化学系の会社に入ってからも研究者という立場は変わりませんでしたが、大学院の頃のようなとても厳しい環境ではありませんでした。
あれだけを会社でやったら相当なブラックだったでしょう。昼も夜も、土曜日も日曜日も関係ありませんでしたからねw
会社に入ってからの生活はとても楽に感じました。初めのうちは、こんなに楽でお金ももらえるなんて天国だと思いました。
それから4年間、もちろん、時期によっては忙しくなったりすることはありましたが、大学院ほどではありませんでした。じゃあ、それいいじゃないか、と思うかもしれませんが、僕の考えは違いました。
やっぱり、研究者というスタイルやもっと言えば会社員というスタイルが自分には合わないと思ったのです。大学院ほど忙しくないとはいえ、研究者である以上、研究の結果や研究の準備などに影響を受けた生活になります。
お昼御飯が食べれないときがあったり、夜ご飯が深夜になることだってあります。また、日曜日に実験の仕込みのために会社に来るなんてこともあります。
じゃあ、研究者じゃなかったらいいかと言えば、普通の日本の会社員であれば、ご飯や家に帰る時間、休日出勤など、自分の思うようにいかないことは多々あります。それが普通です。それがサラリーマンの務めです。
ですが、僕は、これは違うっておもちゃったのです。
自分には違うんだろうなと思ったのです。
これを聞くと、ただなまけたいだけかよと思われるかもしれませんが、僕はそうではないと自分では思っています。
自分は、大学院の頃のように「ネズミの心臓でも移植されたかのように、速い鼓動を刻みながら、セカセカ働く」生き方はやっぱり違うと思ったのです。
僕の元々の性格はのんびりやで物静かな性格。ですが、大学院の頃は、校内を走り回って実験をして鬼のように後輩をしかりつけていました。
僕のやり方も間違っていたとは思うのですが、僕は僕なりのリズムがあると思うのです。そのリズムは普通の人よりも違うのです。
それを現代風に無理やりあてはめていくのはとても不自然だと僕は思ったのです。
それが、違和感です。社会人でいることの違和感です。
人だって、地球の中では一つの生物。
人だけが、自分たちの欲望のために技術開発を行って、生活をもっと豊かにしよう毎日、アクセク働くのです。
それは、地球の中に生きる生物として見たら、僕には少し不自然に思えてしまったのです。
確かにスマホやパソコンはいつも使ってるし、すごいしありがたい存在です。
でも、自分はそれらを作るために働くの違うかなと思ったのです。
ただ、それだけです。
世間を否定したい訳ではなくて、自分がそこにいるのは違うと思った。
ただそれだけなのです。
こんな感じで僕は、いろいろあ想いを持っていきています。正直自分でもなかなか整理がつかない部分ではあるのですが、何が正解かなんてものはないと思うので、自分の思うように、やりたいように生きてみたいと思っています。
そして、それが、同じように今の自分や社会に違和感を持っている人の、何か少しでも役に立てばと思います。
もちろん、僕の生き方が正解だなんて思いません。でも、ある人にとっては正解で、またある人にとって不正解なのかもしれません。
つまり、人はそれぞれ、その人に合った生き方があるのではないかなと思います。